焼き蛤(はまぐり)は富田の名物だよ!
富田は東海道の『立場(たてば)』として栄えました。立場とは宿場と宿場の間にあって、旅人や人足、駕籠かきなどが休息する場所のことで、もともと杖を立てて、一休みしたのでその名が生じたと言われています。
桑名宿と四日市宿の間には5つの立場がありましたが、富田立場は有名で、歌川広重『東海道五十三次 桑名 富田立場の図』(上図)に描かれたり、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』でも焼き蛤のエピソードが出てきます。江戸時代の富田は桑名藩領であったことから、富田ではなく「桑名の焼き蛤」と呼ばれていました。
当時の焼き蛤の店の様子は近鉄四日市駅北の四日市市立博物館で見ることが出来ます。
浮世絵にもあるように、店先の台の上で蛤を焼いていました。
外側に松葉、蛤は‘蝶番’を下にして立てています。松ぼっくりを中に置き、はまぐりをぐるっと周りに並べ、焼いていました。
はまぐりの煮汁が流れてもったいないなあ、と思いますが、博物館学芸員の廣瀬様のお話によると、当時の街道は通行する人で溢れていましたので、数を捌(さば)くためにこのような方法になったと考えられているそうです。焼き蛤はまんじゅうなど、他の名物と違ってお酒とよく合います。おことさんの居酒屋でも焼き蛤とお酒はセットでした。
富田の浜で採れた蛤を、街道沿いの鬱蒼とした松並木の‘葉っぱ’と‘松ぼっくり’を燃料にして焼くという、富田の特色を生かした名物だったと言えます。
参考リンク
・「桑名市はまぐりプラザ」で焼きはまぐりを食べたよ! - まちづくりのひろば