とみだ再発見

三重県四日市市富田の非公式ブログ

歴史上のヒロイン『おこと』〜その2

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平成26年9月、地元のケーブルテレビCTYで「はまぐり屋おことのはなし」がアニメーションで放映されました。地元の方への取材を通して制作されたもので、「おこと」のキャラクターがより明確に描かれています。(※画像等の使用許可を得ています)

 

◯「はまぐり屋おことのはなし」あらすじ

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今から177年前のこと、大矢知村十志の農民「よはち」の妻「ふさ」が「こと」という女の子を産んだ。台風の被害を受け、食べ物もない中での出産だったため、ふさは栄養失調になって翌年帰らぬ人となった。

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台風の被害を受けた村ではそれから何年も不作が続いた。食いものがなくやせた子どもが目立つ中で、おことだけは妙に丸々としていた。

ふさを愛していたよはちは力を落としていた。ある日よはちは「ここにいても生活は苦しくなるばかり、いっそどこぞでやりなおしてみるか」とおことにつぶやいたところ、言葉の意味もわからぬままであったが、おことは「うん、行こ!」と応えた。

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よはちは、わずかばかりの家と田んぼを売り払い、それを元手に富田の街道筋に家を買い求め住みついた。当時おことは2才だった。おことの家のすぐ横には豊富川という巾2mほどの小川が流れ、豊永橋という粗末な土橋がかかっていた。夏には橋にすわって夕涼みするなど、風情のある場所だった。

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おことは両岸の土手を遊び場に、元気に育っていった。体も成長し、負けん気の強いおことは女だてらに近所の子どもたちのガキ大将をつとめ、いつも数人の男の子を従えていた。

ある日のこと、おことの一団は川でふな取りに夢中になっていた。すると「げんじ」と「たいち」が喧嘩を始めた。一匹のふなを同時につかんだらしい。ゆずらぬ二人に、おことは「げんじが先じゃ。たいちは手を放せ!」と言い、そして自分のカゴから一番大きなふなをたいちに与えた。

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このように、おことは頭のキレが良く、その上、女性としての優れた能力と美しい顔かたちを持ち、人々の話題の女性として成長していった。

 

よはちは富田へ移るとすぐに居酒屋を始めた。客は東海道を行き来する旅人や土地の者で父と娘がなんとか食べていけるだけの稼ぎがあった。

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 おことも大きく成長するにつれ、店に出て父をたすけるようになった。おことは元々客商売が好きだった。そして商売もどうやら順調に行きかけていた。

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 そんな時、よはちがぽっくり死んでしまった。おこと16才の春、医者も原因がわからない突然の死だった。

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おことは葬式を出すと翌日から店を開いた。よはちのあとを継いだのだ。

おことが店を始めてからはよはちの時とは違い、大賑わいの日々が続いた。それはあまりに美しいおことを目当てにやってくる客だった。通ってくる若い男たちは「おことちゃんに見つめられると、とろけそうや」と酒の勢いにまかせて本心を打ち明け、なんとか関心を引こうとしたものであった。おことは客扱いが極めて上手で、誰にも愛想がよかった。

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店が流行るにつれ、酒の仲買にも手を伸ばし、はまぐり料理も出すようになった。店には「みすじ」という看板をあげていたが店の名前をいう者はなく、皆「おことの店」と呼んだ。

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ある日のこと、酒の商いでおことは急ぎ江戸へ向かっていた。途中、箱根にはきびしい取り調べで有名な「箱根の関所」がある。道中手形を持っていないおことは困り果てたが、三島宿の女中から着物を借り「おかもち」を下げて、役人ににっこり笑いかけ、無事関所を抜けた。

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またある日のこと。おことは店の奥に隠していた「やみ酒」を酒税を取る役人に見つかってしまった。おことは「これは水だ」と大きな声で言い張った。役人は「これは酒だ」、おことは「水」、と押し問答が 続いた。怒ったおことは「これが酒か」と叫び、斧で背丈ほどもある酒樽を叩き割った。酒樽からは芳香を放って酒がコンコンと流れ出し、役人は思わず「早く水を止めよ」と叫んでしまった。

このことは村中に広まり、ますますおことの人気は高まった。

 

◯「おことさんの物語」は立場富田のおもてなし

富田は桑名宿と四日市宿の間にある立場(たてば)、休憩所でした。名物は富田の浜で採れる「はまぐり」を街道沿いに鬱蒼としている松並木の「松ぼっくり」で焼く「焼き蛤」。そして荒木十兵衛が拓いた羽津用水の恵みを受けた水田の「米」、清らかな「井戸水」からつくられる「酒」、酒粕からは「奈良漬」。

富田は豊かな自然と食文化が融合したすばらしいまちでした。東海道を旅する人は、有名なおことさんに会うのを楽しみにしていたに違いありません。「おことさんの物語」は“おもてなし”そのものです。

奈良漬とご飯で昼食を食べた後、焼き蛤を肴に美味しい酒を飲む。富田は「宿」ではありませんでしたが、数件の旅籠がありました。旅人は「伊勢音頭」で接待を受け、荷物にならない土産として(憶えて)持ち帰ったそうです。

 

参考・出典:

・株式会社シー・ティー・ワイ製作 おはなしきかせて(2014年9月放送分)「はまぐり屋おことのはなし」

 ・取材 マルショウ化粧品店様

 

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