鯨船のものがたり
とみだの鯨船の祭り『鳥出神社神社の鯨船行事』が昨年の11月30日、ユネスコ無形文化遺産に全国33件の祭りで構成される「山・鉾・屋台行事」の一つとして登録されました。
鯨船の祭りは毎年8月の14日、15日に行われ、14日は各町内での町練り、15日は鳥出神社の本練りが見られます。
富田には下のような民話が伝えられており、鯨船行事のもととなったと言われています。(引用:富田地区公式ホームページ)
昔々の大昔、伊勢湾でもくじらが取れたころのことやさ。
ある日のことやった。
沖のほうで、何本も水柱がたっかぁ上がったんや。くじらが何匹も現れたんやな。
漁師たちは、網のつくろいもそこそこに、勇んで船を出したんや。
親くじらは、子くじらをかばいながら泳いでいた。
猟師たちは何時間もの追跡に、銛を打てるまで鯨に近づいていったんや。
そして長い時間まっとった。
そしたら、息を継ごうとして、くじらが大きな体を海面から突き出して現れたんや。
親鯨と子鯨やった。ほしたら、その時親鯨は、銛打ちに哀願するように言ったんや。
「私たちは、はるか紀州の海から伊勢参りにやってきました。
せめて伊勢参りがすむまで見逃してください。」
親鯨の目からは大粒の涙が光った。しかし、銛打ちは、親鯨の背中に、一番銛を打ちこんだんや。
見る見るうちに海は真っ赤に染まった。苦しみながら、親鯨は、それでも訴えた。
「子供だけは、助けてやってください。」しかし、漁師たちは、子鯨共々射止めてしもたんや。
ほしたところが、
それからというものは、富田の浜では一匹の魚も網にかからん様になってしもたんや。
浜では、あの親子の鯨のたたりに違いあらへん・・とうわさしあった。
困りきった猟師たちは、親子の鯨の霊を慰めようと、伊勢参りにも行き、
もう二度と鯨は取らんと誓ったりしたんや。
ほんでやっと浜にも前のように魚が戻ってきた。
ほんでも、猟師たちは、あの勇壮な鯨取りを忘れることが出来やなんだんやな。
ほんで年に一度の夏祭りに、その勇ましかった鯨取りを、陸の上でしのぶことにしたんや。
これが富田の鯨船祭りの始まりなんや。
富田地区内には四艘の鯨船があります。写真は古川町権現丸。子どもたちが被る(かぶる)「こくじら」が可愛らしく、私の好きな鯨船です。
本練りはまず鳥居を“突いて”から境内に入ります。
「くじら」と共に「こくじら」が登場。女の子は赤い衣装。
左右に大きく揺らすのは富田の鯨船の特徴だそうです。大波を受けて船が揺れる様を表現しています。
鯨を追い込みますが、逆襲をうけます。
鯨を神社の本殿近くまで追いこみ、
少年(はざし)が鯨に銛を打ち込みます。ここがまつりのクライマックス。
鯨をしとめた後、大漁を祝う役歌を歌い、“ものがたり”が完結します。
リンク
・鯨船まつり:http://www.tomida.net/maturi/newkujira.html
・鳥出神社の鯨船行事:http://www5.city.yokkaichi.mie.jp/menu68164.html
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